放送室

放送室


 インターネットの検索を主たる道具にして学校の今昔を調べているのですが、検索技術の未熟なためか、なかなか検索したい事柄にたどり着きません。今回は小学校などたいていの学校にはある「放送室」です。いったいいつごろから「放送室」が学校に設置されたのでしょうか。
 文部科学省「我が国の教育水準」(昭和50年度)にある「公立小中・高等学校における教育機器の普及状況」という統計によると、
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpad197501/hpad197501_2_052.html
昭和47(1972)年の校内放送装置の普及率は、小学校で93.9%、中学校で87.2%、高等学校で91.8%となっています。これ以前の文部科学省の統計は見つからなかったので、「昭和」と「放送室」で検索を入れると小学校などの学校史の年表がたくさんヒットしてきます。そこではたいてい、戦後10年以上たってからの放送室設置がのっていました。戦前の放送室設置は見つかりませんでした。ただ、昭和18年の4月北朝鮮の咸興府の日本人小学校に教員で赴任したという人の思い出話の中に「「時局研究部主任」を命じられました。”児童の士気を鼓舞して戦意高揚の教育方法を考える”と言う研究と実践でした。その実践の一つに、少年時代に自分が興奮して夢中に読書した、「海野十三著・怪鳥艇」を全校放送で、週一回昼食時に朗読したのです」とありますから、校内放送設備が戦前からあったという可能性はあります。どなたかご存知の方に教えていただきたいです。
 1935年から全国向けの学校放送は始まっていて、戦意高揚に役立てたようですが、
http://iemoto.cside.com/no-0226.htm
(家本芳郎 教育実践大百科事典)
 ラジオ放送と校内放送をリンクさせていたのかどうか。ラジオの前に児童を集めて聞かせていたのかかもしれません。
 いまでも、小学校で放送部や児童会などが朝のあいさつ放送、昼の音楽、下校時の放送などきっちりやっているところも多いのでしょうか。
http://www.nahaken-okn.ed.jp/tenpi-es/2006/housousitu/anunsu.html
那覇市立天妃小学校 アナウンス原稿)
「NHK杯全国高校放送コンテスト」などに出場する高校などは別にして、高校ではあまり生徒が校内放送でがんばっているようには思えませんがどうでしょう。昔は昼休みなどには、DJなどをやっていた学校が多かったと思いますが、この頃はiPodとかで、各自イヤホンでめいめいの音楽を楽しんだりしていますから、校内一斉放送で音楽を流すスタイルはあまりはやっていないのでは、と推測するのですが、こういうデータはインターネットでは探しにくいですね。日常ありふれたことはわざわざブログなどにも書かないのだろうと思います。
 また、この頃の校内放送設備は、職員室などの電話から放送を入れられるようになっていますから、教員が生徒を呼び出すのにつかったり、委員会や会議の招集呼びかけに使ったりしていますので、放送部が健在な学校でも連絡放送で中断されたのでは興ざめですよね。で、上記の家本氏などはこんな「校内放送コード」などを提案しています。
 

 1 放送による教師・生徒の呼び出しはおこなわない。
 2 放送による注意・説諭などの指導はおこなわない。
 3 放送は原則として放送部のアナウンサーがおこなう。
 4 生徒が放送部に無断で放送することは認めない。教師の場合は、だれでも放送することができる。
 5 原則として、生徒への連絡事項は昼のニュース番組で報道する以外はおこなわない。
 6 ただし、在校中の生徒・教師・父母・地域住民・訪問者の生命を守るという緊急な場合はこの限りでない。

 学校から外へ漏れる「音」「声」は、以前なら地域住民が学校の活動を理解する手がかりでもあって、小学校の前の駄菓子屋のおばさんが「今日は運動会の練習どうだったの?」「みんな○○先生に怒られてたでしょ」などと子どもたちに語りかけてもいたのでしょうが、
http://www.sal.tohoku.ac.jp/anthropology/TAE06.pdf
(「駄菓子屋のいま」阿部菜々子『東北人類学論壇』第6号 2007年3月)
都市部では、いまや学校からの音は「騒音」になってしまいました。ですから、英国の或る小学校では校内放送設備がないとか。
http://www.asahi-net.or.jp/~cn2k-oosg/room0750.html
 でも、緊急時の連絡システムがないと学校の安全対策としては問題でしょうから、校内放送システムの売り込みは商売になりましょう。
http://www.toa.co.jp/products/manabiya/teian/d-/index.htm
 最近は高校入試の英語にリスニングテストが入りましたから、これが放送設備の厳密な使用、点検を要請します。別室受検とか受検時間の延長などもありますから、個別の教室で放送を使い分けられないといけないのですが、そこまで設備は整っていない学校がありますから、教員は対応に追われます。下記は大阪の教員の愚痴でしょうか。

〈高校入試でもリスニングにはどれだけ神経を使うか。教務主任や教頭は神経をすり減らしていますよ。ある学校の放送設備は古く、不安定で、事前点検してもその日の天候しだいで具合が悪くなるそうです。府教委は設備更新予算などつけないくせに手違いはないようにだけ言ってくるそうです。何年か前には本番のテープが欠陥品で、説明部分は異常に音が高く、ナレーション部分は異常に低いというものが配当された学校がありますね。しかも予行分は問題なしというものです。その時は情報担当の教員が必死で音量を調整しながらダビングしてカバーしたのを覚えています。リスニングなどは大阪府のような貧乏地域がするものではありませんよ。〉
http://www.oskf.net/cgi/read.cgi?bbs=oskpublic&key=1096979307&last=-1&nofirst=false

 入試のリスニングなどは受検生は、それこそ耳をそばだてて聞いているのでしょうが、ふだんの校内放送では、自分の名前が呼ばれるのでもない限り、「声」は「音」としてしか聞き取っていないのではないでしょうか。体育館での聴きにくい校長訓話もどうようでしょう。全体に向けられた「声」のなかから自分に必要な情報を「聞き取る」という注意力は、ラジオの時代からテレビの時代へ、さらにウォークマンiPod、インターネットの時代環境への転換のなかで衰えざるを得ないのではないでしょうか。家本氏が上記の「校内放送と学校づくり」のなかで、かつての放送教育の指導目標を次のように(自主番組の制作に比較して)批判的に述べていますが、ここで述べられている「聴く」指導は今や至難だとしても、必要な指導になっているかもしれません。

〈わたしが中学校に転任した一九五〇年代、勤務校が放送教育の研究指定校になったことがある。ここでも「聴取」が主流で、指導の重点は、いかに放送された番組内容を理解するかにあった。その指導目標は「放送前に放送される内容について下調べする」「放送は静かに聴く」「どんな音も聞きのがさずに聴く」「想像力をはたらかせて聴く」「聴いたあと、学級で話し合ってさらに理解を深める」「聴いた感動がさめないうちに感想文にまとめる」であった。放送局から運ばれた番組をいかに適切に聴取するか、「賢い音の消費者」を育てようとしていたのである。しかし、放送は一方向性であるから聴取に相応しい学習形態だとして、疑問をもつことはなかった。〉

写真はhttp://www.nahaken-okn.ed.jp/tenpi-es/2006/housousitu/housou.htmlより