コピー機

コラージュ by Jan Hathaway


 チェスター・カールソンが「ゼログラフィー」という複写機を発明したのが1938年。その原理をつかってジョセフ・ウイルソンが普通紙複写機の商品化に着手し、「ゼロックス914」が1959年に誕生。日本では1962年富士ゼロクスが発売開始した。富士ゼロックスのHPにのっていました。
http://www.fujixerox.co.jp/company/cb/2006/fx_04.pdf
 青焼きコピーというのも学校で使った覚えがありますが、すぐに「ゼロックスする」ということに変わった来たことを覚えていますが、それがいつ頃のことなのか記憶にもないし、学校へのコピー機の普及がまたいつの頃からのことなのか。なかなかネット検索でははっきりわかりませんでした。
 事務効率を飛躍的に向上させた「オフィス革命」が、学校現場におしよせて、教育にどのような影響をおよぼしたのか、といった研究があるのかどうか。このブログの読者から論文情報ナビゲータの場所を教えてもらいましたので下記で調べてはみましたが。
http://ci.nii.ac.jp/
 本文を参照できるのは少なく、PDFファイルになってはいますが、これはコピー機にかけた画像が多いので本文から文字情報をそのまま引用できないこともあるようですが、めげずに検索してみました。検索のしかたが悪いのか、上記のような問題の手がかりがありそうな論文を探せませんでした。
 ネット上の論文の公開ばかりか、学校でのコピーの多用も著作権というハードルがあって問題化していたりします。
http://www.nishinippon.co.jp/news/wordbox/display/1845/
 私の関心は、簡単にコピーができるようになってから、授業のしかたや学生の勉強のしかたはどのように変化したのか、それにどんな能力が向上したり、効率良く勉強できるようになったのか、あるいは別の大事なものが失われていったのか。そういうことを考えてみたいわけです。
 コピー機の普及がなければ、大学門前の「講義ノート屋」という商売は成立しないでしょう。大学の講義にでないでも講義ノートを500円だかで購入すれば、試験くらいはパスするから講義にでないという大学生の生態も、このコピー機の技術によって支えられていましょう。
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/circle/ksup/141/4-2.html
 小中学校から高校でも教員は、生徒に配布する印刷プリントの類いにまじって、コピーされた書類の整理に追われています。職員会議には大量のプリントやコピー書類が配布されます。もちろんこれら大量の書類は、パソコンの普及が追い討ちをかけたものではありますが、それ以前からコピー機がそうした環境を準備していました。
 「保健室に放課後来なさい」という生徒宛の連絡用紙もコピーされた様式書類に氏名などを書き込んでいるものだったりします。担任が生徒への連絡を忘れたりしないようにするには大変便利です。口頭だけだと、連絡したという証拠ものこりません。生徒が忘れるかもしれません。多数の生徒へのちがった連絡事項だと、担任はとても覚えていられませんから、こういう連絡票は便利です。
 でも、それ以前はどうしていたのでしょう。手書きのメモをもとに口頭で伝えていたのだと思います。そうすると生徒は、単純な連絡ばかりか日付日時、持ってくるものなどを口頭で伝えられると、それを聞いてメモをとるか、しっかり覚えようとしていたでしょう。コピー技術や印刷技術、さらにはコンピュータの学校への普及は、もしかしたら「声と記憶」の技術を後退させたかもしれません。
 印刷物は、「あとで読む」「あとで確認する」ことができます。ところが「声」を保存して後で確認したりというのは、録音でもしないかぎりできません。文字文化が声の文化を駆逐したように、コピー機印刷機、パソコンは私たちの「声」を少なくとも「公的伝達」の世界から追い出してしまったかもしれません。
 そればかりか大量の印刷物は、一枚一枚の情報伝達力をそいできたでしょう。連絡票を手渡すときに、教員は必ず「声かけ」と「声による説明」を「個人」にしないと連絡票の内容は伝わらないことがあるのです。つまり生徒はたくさんの書かれた文字に目を通すことを「じゃまくさい」と思い始めているからです。
 しかし、この紙に書かれた文字の文化は、これから大きく変わってくるかもしれません。大学の門前の「講義ノート屋」さんは商売にならないためか店じまいするところがあるそうです。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20060608_lecture_note/
関西学院大学前の講義ノート屋、ついに閉鎖か)
 売られるノートが劣悪になったためなのか、コピー機が格安になったためなのか、5円コピーのせいなのか、それともパソコンでノートを取る学生が、ネットで売るためなのか、はたまた、ネット上の「講義ノート屋」があるからなのか、それはよくわかりません。
http://www.notebank.org/
講義ノートバンク)
 コピー機が発明されたとき、芸術家たちはその技術を駆使してコラージュというアートスタイルに活用しました。
http://www.yasuhisa.com/could/entries/000431.php
 コピー技術がクローズアップした著作権の過度の主張は、切り張り組み合わせによる創作の可能性を奪っていくでしょう。コンピュータプログラムの著作権の主張はアメリカの世界戦略のひとつでしょうが、そうした主張は、元の著作物をそのままコピーして使用するだけの、創造性のない使用法が「声」の枯渇、アウラの消失を招いていることとみあっているのではないでしょうか。コピーガードをかけられるとコラージュは制限されてきます。
 複製技術が芸術作品から「アウラ」を消滅させてしまうと指摘したのは、ベンヤミンですが、彼は単純に複製技術を非難していたわけではありません。

〈映画は、その財産目録ともいうべき全機能のなかから、クローズ・アップの手法を使って日常われわれが馴れ親しんでいる小道具のディテイルを強調し、対物レンズを自在に駆使して陳腐な環境を探求し、一方では、われわれの生活を支配している必然性の連鎖への洞察をふかめるとともに、他方では、予想もできない巨大な活動分野をわれわれに約束する。安酒場・都市の街路・オフィス・家具つきのアパート・鉄道の駅と工場、そうしたもののなかに、われわれは救いがたく封じこまれてしまいそうだった。そこへ映画が出現して、この牢獄の世界を十分の一秒のダイナマイトで爆破してしまった。〉
「複製技術の時代におけるの芸術作品」1936 高木久雄・高原宏平訳 『ヴァルター・ベンヤミン著作集2』

写真はhttp://www.jhathaway.com/pages/images1990s.htmlより