修学旅行

昭和7年の修学旅行 軍艦「長門」の艦上


 欧米の学校にはなくて、日本の学校に特有で、かつ古き伝統を誇っているものに修学旅行があります。
 佐藤秀夫先生が紹介されているのですが(『教育の文化史4』282P.)海外の修学旅行でアメリカ東部を訪れた日本の私立高等学校生徒の一行が詰め襟金ボタンの黒サージ制服と制帽のゆえに軍人又は軍学校生徒に見間違われた、ということですが、この修学旅行の起源自体が「行軍旅行」にある(『学校ことはじめ辞典』佐藤秀夫)のでしょうからそのDNAは現在の修学旅行にも遺伝しているということでしょう。
 修学旅行の起源については、河東真也さんという教育史学者さんのサイトとか、
http://yas007golgo13.seesaa.net/article/7735622.html
(学校の文化史)
新谷恭明「日本最初の修学旅行の記録について」(九州大学大学院教育学研究紀要,2001,第4号(通巻第47集))などがネットで読めますので、そちらを参照してください。
http://72.14.235.104/search?q=cache:hU6IvWt5r80J:https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/988/4/KJ00000045101-00001.pdf
 ところが、修学旅行の研究は、修学旅行に関連している業界のサイトの方が「充実」しているんですね。
 修学旅行ドットコム(修学旅行情報センター)
http://shugakuryoko.com/index.html
ここには修学旅行の歴史というかなり本格的な論文と念入りな年表が載っています。
http://shugakuryoko.com/museum/rekishi/index.html
 旅行業界での修学旅行関連の比率はどれくらいかわかりませんが、修学旅行で国内外の旅行経験をもとに社会人になってから海外や国内旅行に行くようになる人のことを考えると、修学旅行事業は「旅行」教育としてまことに重大な意味を持っていましょうから、業界が歴史、現状、新商品の開発、教育現場の分析、教育行政の動向などに、教員や教育研究者以上に熱心に取り組んでいるのは了解できるところです。
 研究者の関心は、修学旅行の歴史やその教育的意義や現状、修学旅行指導の実際などに関心を向けますが、
http://www.obirin.ac.jp/graduateschool/thesis/2000/19741123.htm
(「中等教育における海外修学旅行―国際理解教育からみたその一研究―」)
業界のひとは、それらに付け加えて、これから修学旅行はどうなっていくのか、という未来や展望にも関心を向けます。ここが学者との違いです。「大手旅行代理店の教育旅行団体専門支店、営業本部、本社にて教育旅行の営業、企画全般に十数年間携」ったという長月白露氏は「「少子化」による修学旅行への将来的展望」の項目の中で、次のように予測しています。

〈次に修学旅行の実施形態がよりグル−プ化、より個人単位で実施されていく。一部の学校でその兆候はすでにみられはじめている。費用の高額化にともない、修学旅行代金を低く抑えるために現地集合、現地解散の学校修学旅行が今後出現するかもしれない。
 最後に学校一学年当たりの生徒数が減ったことに対して、学校間での「募集型の修学旅行の実施」が起こるかもしれない。共同実施、連合の実施形態はへき地の小さな学校などで実際にある。グル−プ化、より個人化は確実に進むものの、団体行動を通して実施する生活指導、とくに集団生活や公衆道徳の習得には修学旅行が有効なことをとらえれば、次のような実施形態も考えられる。
 ・学年同時実施…学校内で一学年の生徒数が少ない場合に、二年に一度位の実施で学年をまたがって実施
 ・連合形態での同時実施…いくつかの学校が同時期に実施。団体としての実施を前提として。
 ・選択幅のある目的別実施…学校内で修学旅行のコ−スをいくつか設定して生徒に申し込み選択させる。クラス個人単位を超えた実施形態として考えられる。実際に行っている学校もあるという。またさらに発展させて地域の数校で募集するというのも考えられるかもしれない。〉
http://www.geocities.com/CapitolHill/Parliament/3570/mokuji.html

 もちろん、こうした「業界」が教育的意味にも重大な関心を払っていることは、教師たちと何等変わりはない。いや、むしろ修学旅行が始まりの当初から「修学」というよりも集団生活・訓練のほうに重点があったことをさらりと分析指摘したりしています。
株式会社教材研究社のサイトでは「修学旅行は、元祖「総合学習」であった」と修学旅行の位置づけを「時代の流れ」にあわせたりしています。

〈修学旅行という学校行事は、学習指導要領「特別活動」の中の「旅行・集団宿泊的行事」として位置づけられています。「特別活動」には、「学級活動」「生徒会活動」「クラブ活動」、それから運動会・学芸会等「学校行事」などがあり、その目的は団体生活訓練であって、集団の中における自己の認識を深めることにあるといえるでしょう。ということは、「修学旅行」に期待する実質的・直截的教育効果はさほど求められておらず、やや乱暴な言い方をするならば“お泊まり保育”の延長線上にあるということもできそうです。したがって、修学旅行において学校が一番重視し、旅行会社が一番神経を使うのが「安全確認」であることは象徴的です。とは言っても、相当な費用と時間をかけて実施する行事ですので、団体生活訓練だけではもったいない、ということで、歴史や地理、理科など教室で学んできた知識を、旅行先で検証する、あるいは体験を通して学ぶという形になってきたのが、修学旅行の姿であろうと思います。事実、教育団体の調査結果では、修学旅行の目的として中学校では「見学・学習」は4割弱、集団生活訓練と想い出づくりが5割以上で、高校ともなるとその傾向はさらに強まって、「見学・学習」は2割程度にとどまっています。〉
http://www.geocities.com/CapitolHill/Parliament/3570/mokuji.html

 このように修学旅行については、教師や生徒たちの支持が大きいだけではなくて、「業界」がガッチリその教育的意義から歴史、将来展望まで語ってくれているわけです。ですから「修学旅行不要論」というのはあまり見かけません。
http://nhjournal.blog37.fc2.com/blog-entry-322.html
 まあ、何かの不祥事で富山県の高校では修学旅行はほとんど実施していないとか、
http://9102.teacup.com/toyamakowaitoko/bbs?M=ORM&CID=19&BD=14&CH=5
http://www.yatsuo-h.tym.ed.jp/gyouji.html
 進学や就職にマイナスになるとか、家族旅行にいける経済的な余裕ができたなどで修学旅行を廃止するところもいくつかあるようですが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/修学旅行
 単位制高校通信制高校でもいまのところ修学旅行は実施しているようです。教員もいろいろ考えてはみるけれど、結局、否定論にはならないようです。
http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/travel/shugaku.html
 学校行事だから参加者が少ないと中止です、といって管理職が中止したのに怒って抗議して強制異動させられた定時制の教師もいたみたいですから、
http://home.catv.ne.jp/dd/tkanazak/tyuusimondai.htm
http://www.yoshidataisei.com/houdou_folder/n11/news11.html
修学旅行は「学校行事」としてしばらくは安泰なのでは、と考えられます。
 とはいえ、定時制高校では授業料もなかなか払えなくて、修学旅行の積立金を授業料に振り向け、修学旅行にいけなくなってしまう生徒も増えています。それに修学旅行代金は、いまや一般のパック旅行より割高になってしまっています。「個人」旅行や親しい友人との旅行には魅力を感じていても、「学校」という集団での団体旅行についてはあまり気が進まない生徒も無視できないほどに増加していますが、そうした動向を「意味」づけする教育者や教育学者の仕事はとうぶん登場しないでしょうし、「業界」のほうは、修学旅行にかわる「商品」は構想するかもしれませんが、廃止というふうにはなっていかないでしょう。
 まあ、「大学の授業ツアー」とか、自衛隊とか海上保安庁の巡視船での体験訓練、大企業での職場体験ツアー(インターンシップの修学旅行版)などが出てくるのではないでしょうか。そうなると、修学旅行という名前は残るとしても、これは「学校行事」のひとつというより、学校よりも〈学校化した社会〉の各部門への学校機能のアウトソーシングということになるのではないでしょうか。修学旅行の生徒にとっての不思議な魅力は「非日常的な体験」であったのですが、そういう雰囲気はいつの間にかなくなって、「実社会という日常」への入口に転換していくことになりましょう。

写真はhttp://www.yamatoudousoukai.com/gallety/009.htmlより
山形県立山形東高等学校)