校歌

柴橋村国民学校校歌


 「君が代」斉唱の強制問題に隠れちゃってますが、校歌斉唱はどうなのか。校歌は問題ないじゃないか、とたいていの人が思っているのだろうと思います。
 でもこんな歌詞ならどうでしょう。
「質実剛毅の魂を
染めたる旗を打振りて
天皇(すめらみこと)の勅(みこと)もち
勲したてむ時ぞ今」
http://nob63h.iza.ne.jp/blog/entry/160543/
山梨県立日川(ひかわ)高校校歌)
 大阪の高津高校の前身、高津中学の「高津中学を歌へる歌」は
「栄ゆる皇国日の本の
民の使命を身に負ひて
雄々しくみちを究めゆく
健児吾等の理想遠大し」
http://www.kozu.cc/school2.html
 これは戦前ですが、日川高校ではいまでも上のような歌を歌っているのでしょうかねー。
校歌の歌詞も曲調も、だいたいワンパターンで、周辺の有名な地名や風景を入れ「わが母校」と詠嘆し、若者をたきつけ励まし、それいけどんどん、という行進曲歌詞が基調で、たいていそこにその時の世界情勢を反映する言葉が入っています。いまなら「世界にはばたく」とか、昔なら「皇国の礎」とか「新大東亜の建設」になるわけでしょう。だいたい校長先生の訓示の基調と構成を一にしています。
 しかし、校長先生の退屈な話と違って、集団で歌うことで、学校の一員としての一体感を感じさせ、それと国家・世界の情勢を結びつけるわけですから、この効果は校長訓話どころではありません。だが、このような校歌のもつ集団支配力は根っこのところから崩れてきていることは、間違いありません。
 下記の分析はなかなか鋭いです。

北朝鮮の放送には、この手の校歌調音楽に充ち満ちているようだが、もちろんその集団主義的まとまりの意図ゆえだろう。かつて日本の放送文化にも、この手の音楽がもっともっとあったと思う。戦前の軍歌や国民歌謡から、戦後のNHKのみんなのうたや学校教育のための歌など現在にもこの痕跡は読みとることが出来るので、僕には北朝鮮の放送のみを特殊視できない。こういった音楽は、集団主義的な結束があまり必要でなくなりつつある今日、何となく歌う気分にならなくなってきているのは当然だ。若者達は、校歌や国歌など誰も歌いたがらず、みんなバラバラに自分の趣味のあった歌を好きに選んで歌ったり聞いたりしている。〉若尾裕(2003年11月 )

http://www.h2.dion.ne.jp/~ywakao/ensemble/kawai3-11.htm
 正式な校歌とちがって、それよりも学生たちの中から生まれた学生歌が、校歌よりもたくさんの学生たちにうたわれ、それも儀式のときのマーチではなく、気の合った仲間たちと、あるいは一人で口ずさみ、やがてメジャーな曲になっていく、という例もありました。三高のボート部の歌「琵琶湖周航の歌」がそうであり、中央大学の学生であった藤江英輔が、学徒出陣で戦場に駆り出されていく友たちにささげた歌「惜別の歌」がそうでした。藤江英輔自身が、この歌が生まれた経緯を語っています。
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/04/post_4858.html
 「正統右翼」(?)「一水会」の鈴木邦男は「君達の愛郷心を問う!小・中学校の校歌を歌えるか?」と問うて
〈中学や高校に「日の丸」や「君が代」を強制してるけど、僕は反対だ。がやがやとうるさい奴らに「日の丸」や「君が代」はもったいない。「日の丸」「君が代」がかわいそうだ。校歌、校旗があるんだから、それでいい。〉
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2002/shuchou1028.html
といっています。
 「日の丸」も「君が代」も、学校の校歌で修練される集団の感情を土台にしてはじめて成り立ちます。それなのに校歌も歌えない子どもたちに「日の丸」も「君が代」も意味がない、さらし者になっているだけだから失礼である、と鈴木は言いたいのでしょう。
 しかし、鈴木には気の毒だけれど、もはや学校は愛郷心や愛校心を育てられるような場所ではなくなっていましょう。マスコミが学校や教師をバッシングする中でどうしてそういう感情が育つでしょうか。
 校歌の中に悲惨な戦争の経験を読み込んだ那覇高等学校の校歌にしても、
http://www.naha-h.open.ed.jp/school/kouka.htm
高校の校歌を路上ミュージシャンと教諭が共同制作した都立八王子拓真高校の校歌にしても、
http://peace.cocolog-nifty.com/peace/2007/01/post_aed3.html
シンガー・ソングライター大黒摩季に作詞作曲してもらった北海道登別明日(あけび)中等教育学校の校歌にしても、
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news2/20070410wm01.htm
集団の儀式のために作られた歌が「惜別の歌」のような拡がりを持っていくとは思われません。このような「校歌の効果」の衰退のなかにこそ、私たちは明日の学校への希望をかたる必要があるのではないでしょうか。

 写真はhttp://academic3.plala.or.jp/sibahasi/annai/enkaku/kokumingakuhu.htmlより