(7)『ああ玉杯に花うけて』

少年倶楽部表紙

 1920年代は大衆小説の興隆期であり、とりわけ20年代後半は少年小説の黄金時代だったと、池田浩士氏が指摘されています(『大衆小説の世界と反世界』1983 現代書館)。佐藤紅緑の『ああ玉杯に花うけて』は「少年倶楽部」の1927(昭和2)年5月号から1928(昭和3)年4月号に連載され、少年たちから圧倒的支持をえた人気連載でした。「少年倶楽部」は昭和2年30万部、昭和3年45万部と増え続け、昭和11年新年号は75万部を発行しているそうです。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/t-kyoudo/1room/hyousi/hyoushitop.htm
 題名は、第一高等学校の校歌からとられたものということから推測できるように、小学校から中学校時代への少年群像を描き出しています。チビ公といわれる主人公千三は、成績優秀でも家が貧しくて中学校には行けず、家業の豆腐屋をやって一家を支えています。街の助役の息子の「生蕃」にいじめられたり、財産家の息子の光一に助けられたりしながら、私塾に通いはじめて、その塾に来ている一高の学生、安場に出会います。チビ公のまえで安場は歌い出します。「ああ玉杯に花うけて、緑酒に月の影やどし、治安の夢にふけりたる、栄華(えいが)の巷低く見て、向ヶ岡にそそり立つ、・・・・・」それを聞きながらチビ公は涙ぐみますが、安場は「きみはな、貧乏を気にしちゃいかんぞ」と貧乏生活の中で、塾の先生に導かれながら一高に入った体験を話します。
 田舎の少年たちに、この小説は「立身出世」の階梯としての「学校」の存在を強く印象づける物だったようです。
 中学生たちは学外で派手に勢力争いの喧嘩もすれば、学校内で集団カンニングをしますが、学校の教師集団は、そういう生徒指導を熱心にやっているふうもなく、模範学生の光一が、喧嘩やカンニングを批判したり解決したりしていくというふうに描かれます。生蕃といわれた助役の息子が、学校での暴力のせいで退学になり、親が権力をつかって中学の校長を配転させる場面が設定され、街の「悪」に生徒と学校が一体になって抵抗する姿が描かれます。ここでは学校(モデルは旧制浦和中学、現埼玉県立浦和高等学校)の校長・教員と生徒たちとの「共同性」が完璧に成立しています。学校は、世間の俗悪なるものに敢然と立ち向かう理想に燃えた英雄主義、エリート主義の養成所として機能しています。そうした少年の立身出世の理想主義が、貧富の差への不満を解消する機能をはたします。
 このエリート主義的理想主義が、見事に皇国史観と結びついている様子もはっきりと描かれます。この作品自体が大衆文学の興隆の中にあったにも係わらず、社会主義思想の流れを批判し、「英雄」を賛美する光一の演説を上手に配置します。
 いってみれば下記の演説は、旧制高校帝国大学のエリート主義のイデオロギーとして、貧しさのために中学にも行けずに豆腐屋の天秤棒を担ぐ少年にも機能させているのです。ここに描かれている「学校」は、まちがいなく現在の私たちが経験している学校とは、全く別物なのだろうと思います。それにしてもこの小説に描かれる「学校」は見事に機能していた時代の雰囲気を遺憾なく発揮しているだろうと思います。

〈「待ちたまえ、さらに手塚君の説を駁さねばならん、手塚君は英雄は個人主義である、英雄は民衆を侵掠したといった、侵掠か征服かぼくはいずれたるかを知らずといえども、弱者が強者に対して侵掠呼ばわりをするのは今日の悪思想であります、婦人は男に対して乱暴よばわりをなし、貧者は富者に対して圧迫よばわりをなし、なまけ者が勤勉者に対して傲慢よばわりをなす、ここにおいてプロレタリアはブルジョアをのろい、労働者は資本家をのろい、人民は政府をのろい、人は親をのろい、妻は良人をのろう、そもそもそれははたして正しきことであるか、思うに民衆といいデモクラシーと叫ぶこと今日ほどさかんなときはない、しかし心をしずめ耳をそばだてて民衆の声を聞きなさい、かれらはこういっている。『首領がほしい』『私達を指導してくれる人がほしい』『レーニンがほしい』『ムッソリーニがほしい』『ナポレオンがほしい』と、いかなる場合にも団体は首領が必要である。首領は英雄である。フランス人は革命をもって自由を得た、しかし革命には十人をくだらざる首領があった、ローマの国民はなにを望んだか、シーザーにあらずんばブルタスであった。日本の国民はなにを望んだか、源にあらずんば平であった、ナポレオンを島流しにしたのは国民であったが、かれを帝王にしたのも国民であったことをわすれてはならない。しかるに手塚君はなんのために英雄を非認するか、英雄いでよ、正しき英雄いでよ、現代の腐敗は英雄主義がおとろえたからである、ぼくのいわゆる英雄は活動写真の近藤勇ではない、国定忠治ではない、鼠小僧次郎吉ではない、しかもまた尊氏、清盛、頼朝の類ではない、手塚君の英雄でもなければ野淵君の英雄でもない、ぼくは正義の英雄を讃美する、いやしくも正義であれば武芸がつたなくとも、知謀がなくとも、学校を落第しても、野球がまずくとも、金持ちでも貧乏でも、すべて英雄である、この故にぼくはこういいたい、『すべての人は英雄になり得る資格がある』と」〉