廊下

三重県立川越高校


 近年の新しい学校建築を見ていると、廊下から丸見えというか「開かれている」教室や、廊下というにはあまりにも広いオープンスペースをもつところが目立ちます。
 閉ざされた空間が「開かれた」ということに注目がいきがちですが、これは逆に考えると、「廊下」の消滅ないし、教室の「廊下化」といってもいいかもしれません。
 「こら、そこ、うるさい、出て行きなさい!」とか、「廊下に立っていなさい!」などという昔よくあった罰は、意味がなくなりますよね。廊下に出されたって、教室と同じようなものですからね。
 「家庭訪問」で紹介した韓国の映画「我が心のオルガン」の撮影に使われた木造校舎は、セットではなくて実際に残っていた校舎だということです。映画では、子どもたちが一斉に並んで廊下みがきをするところが出てきていました。私らの世代の記憶にも廊下を磨かせられたことが残っていましょう。この生徒による廊下磨きの伝統はいつからかわかりませんが、国民学校でもやっていたようですね。
http://www3.coara.or.jp/~primrose/hokoku07.html
国民学校物語)
 土足の学校(一足制)が多くなっていたり、二足制ではスリッパを使っているわけですから、現在の学校は、素足で生徒が走り回っているわけではありません。その意味では廊下は道路とつながっていましょう。荒れた学校で、バイクで廊下を走り回って騒ぐ生徒がいたりまします。
 ところが、廊下の床磨きを熱心に指導した時代の校舎は素足だったのでしょうか。だとすれば、そこに道路ではない廊下という空間の特殊性があったと思われます。
 ハンセン病療養所の学校では、教員は生徒とちがって、土足で教壇に立ったといいます。
http://www.lawyer-koga.jp/hansen6-kensho.htm
ハンセン病国賠訴訟・検証 「検証指示説明書」)
 ハンセン病療養所内の学校以外ではどうだったのでしょうか。つるつるの床と裸足の感触が、いわば「学校」構成員たちの一体感を醸していたのかもしれませんが、教員は裸足ではなく上履を履いていたかもしれません。旧制中学校は尋常小学校とはちがって土足だったのでしょうか? 戦時中に軍人が中学校に常駐したのでしょうが、軍人が裸足であるはずはないでしょう。
 で、「我が心のオルガン」の映像では、教室と廊下の間のガラス窓は透明なガラスが上で、下がスリガラスでした。廊下から教室は歩きながら見えないこともない、教室から廊下を通った人が誰なのか注意を払えばわかる。そういう教室と廊下の関係が絶妙なタッチで描かれていました。昔の校舎における教室の内と外の関係は、単純に閉鎖かオープンかという二分法でははかれない微妙な関係を表現できるのです。
 小学校では、絵画作品などを貼ったりするのは小学校ではよくあることです。教室にはクラス全員の作品を貼り出しますが、廊下はなかばクラスを超えた公共空間ですから、「優秀作品」が張り出されたりします。そのほか全員に対する連絡掲示板とかポスターなどもはりますから、廊下はいってみれば「交通空間」です。
 この廊下にリナックスデスクトップPCを20台ならべて生徒が自由に使えるようにした小学校とか、
http://oss.mri.co.jp/osds/mail/gifu-news/gifu20050314.txt
 廊下に机やイスをだしてそこで自習をやっている「廊下学習」の川越高校とか、
http://benesse.jp/berd/center/open/kou/view21/2001/html06/sido06_02.html
 廊下を図書室にしよう、などという東京シューレなど
http://shure-chugaku.sblo.jp/
 廊下空間はさまざまな試みを引き寄せています。
「教室」に入れない生徒はいますが「廊下」ではたたずんだりうろうろしたりできるんですね。『学校の階段』という映画があるらしいですが、
http://kaidan.gyao.jp/
 「階段クラブ」の生徒たちが廊下や階段を疾走するという、なんだか面白そうでもありますが、これオープン教室の学校を舞台にしたら「映画」にならないのではないでしょうか。「学校への香水のつけ方」などというサイトがありまして、
http://www.geocities.jp/powder_room7382/gakkoutuke.html
近年は男子でも香水を付けていますから、こういうサイトでお勉強しているのでしょうか。ここでも教室と廊下での香水の匂い方の違いに注意を払っています。「廊下とかですれ違った時にフワって香らせたいの」という生徒たちにアドバイスをしています。
 学校の廊下という空間が持ってきた特別な雰囲気は、おそらくリノリウムの床材、スリッパなどばかりでなく、オープン教室の普及という「開放」の流れによっても、かつてのそれを失っていき、学校空間は他の社会空間と見分けがつかないものに、少しずつ変わってゆくのでしょうか。

写真はhttp://benesse.jp/berd/center/open/kou/view21/2001/html06/sido06_02.htmlより