同窓会

立花尋常小学校卒業生


 同窓会にはほとんど出席したことはないのですが、前から同窓会というつながりを不思議に思っていました。古い学校では学校の敷地内に同窓会館などがあって、ときどき会合などを開いています。同じクラスとか同期の卒業生どうしが卒業後に再開して昔を懐かしむ、というのならわからないでもないのですが、卒業時期がちがって一度も顔を合わせてもいない人たちが、一堂に会する同窓会とはいったいなんだろう、と思っていました。昔は教員の異動などあまりなかったのでしょうから、同期でなくても「どの先生に教わりました?」「ああ、その先生なら私もよくしかられました」などという過去の共有で、そこにいわば世代を超えた一時的アソシエーションができるのだろうと思います。
 同窓会というのはいつからできたのだろう? と思ってネットで検索すると「同窓会」だと580万件、Alumni associationは5140万件になります。homecommingも「同窓会」という意味もあるそうですから検索してみるとこちらは6万4件、「ホームカミング」では10万件ヒットします。
 これでは探しようがありませんから、黄順姫の近著『同窓会の社会学―学校的身体文化・信頼・ネットワーク』(世界思想社 2007)あたりを読んだら手がかりが得られるのでしょうか。
http://www.asahi.com/edu/news/SEB200705240012.html
asahi.com同窓会、仕事に選挙に「役立った」 高校モデルに分析 2007年05月24日)
 だいたい、1日やっつけ雑文ですから、アマゾンに頼んでも今来るわけではないから参照は無理ということでパス。
 そこで、佐藤秀夫先生の『教育の文化史2 学校の文化』から「「先輩」支配の歴史と構造」を参照します。ここで佐藤先生は「先輩・後輩」関係は明治のはじめの能力による等級制では年齢がバラバラになるので、年齢による支配関係は成立しなかった。この支配が成立するのは大正末期、学年制の導入普及がすすみ、入試競争のゆるい二流三流の中学校で学年差による年功序列支配が貫徹し始めた、と言っています。引用します。

〈これは、入学志望者が多い伝統的な一流校よりも、入学競争のゆるい二流・三流校に多く現れた。一流校には浪人の比率が高く、「年少の上級生」「年長の下級生」がありえたので、学年差による年功序列支配が貫徹されにくくなっていたのである。エリートを自負したリベラリズムの「伝統」と美化されているものの実質が、実はこのような入試状況に多分に規定されたものにすぎなかった、といえるかもしれない。旧制高校や、それと直結した帝国大学などで、あからさまな年齢差に基づく「先輩・後輩」関係がさほど根づかず、むしろ同窓意識のほうが強力だったのも、右のような事情によるものといってよい。〉

 学校の秩序と親和的な年功序列意識とは別に、学校は「同窓意識」をその傍らで産出しつづけていた、といえるのかもしれません。植民地統治下の台湾の尋常小学校の同窓会に日本人同窓生が2001年に360万円寄付した、などという記事を見ると、「同窓意識」は政治や国境も越えてしまうのかと思ってしまうほどです。
http://www.roc-taiwan.or.jp/news/week/07/070530c.htm
(建成尋常小学校の同窓会が母校に奨学金の寄付)
 山城千秋氏は「郷友会の文化活動と教育的機能に関する一考察」(九州大学大学院教育学研究紀要,2002,第5号(通算第48号))のなかで
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/1004/4/KJ00000699824-00001.pdf

〈故郷というのはあらかじめ存在しているのではなく,移動したことによって発見されるものとしてある。従って故郷の成立は,移動が行われることによって始まるのである。沖縄県内における郷友会の形成も,農村・離島から那覇への移動によって,もと自分がいた地域を振り返ることによって,故郷が発見された。
 その故郷概念が成立していくときに,次の三つの事柄が特に強調される。一つは歴史という過去の時間を共有していること,二つめは同じ風景・空間をもつという感覚であり,三つめに言葉を同じくするという意識であり,その地域の言葉で感情を表すという主張である。そのような故郷概念を共有するためには,故郷,すなわち母村における共同性と生活文化への体験が前提となる。〉

 と述べているが、これは学校の同窓会ではなく郷里を同じくする沖縄県人会について言われているとしても、ほぼそのまま同窓会に当てはまってしまうのではないでしょうか。
 学校的秩序は、過去となることで、学校という疑似共同体の思い出が、アソシエーションとして復活し、実際の学校生活を同窓会の語りで置き換え、いわば故郷としての母校が発見されてくるのではないでしょうか。
 さて、過去共有疑似共同体は、いま、「母校における共同性と生活文化への体験」の固有性を発揮できているでしょうか。これが社会一般の経験と境界線のない状況になり、いわば「学校」が「社会」の波間に埋没して、いっそう社会と区別がつかなくなっていくとき、学校が「開かれて」社会に融合し、校舎だかビルだかわからなくなり、教員も常時背広にネクタイという身なりで、首から身分証を下げている時代に、はたして「母校」を産出できるのでしょうか。
 写真はhttp://www.ama-net.ed.jp/db98/rekisi/6/30990.htmlより