給食

給食

 『学校のモノ語り』(東方出版 2000)という本の中に「弁当」という小文があります。これを書いている中島勝住氏は、小学校時代にあまり給食を経験していないこともあるのでしょうか「冬、冷たくなった弁当を温める保温庫のようなものがあった。入れる場所によっては触れないほど熱くなるので、毎朝の場所取りは真剣そのものであった。」とお弁当にたいする愛着を語っています。そのせいか学校給食に対してはあまり肯定的ではありません。
「一律強制の学校給食は単なる昼食なのではなく、給食指導という教育が行われるべきだという考え方が基にある。弁当との違いはそこにある。しかし今や、たとえジャンクフードであっても、食の嗜好の多様性が生徒に対しても尊重されるべきであることは論をまたない。そんな中での給食指導が、次第に意義も現実味もなくなってきたのは必然であろう。ならば、弁当の偉大なる復活があるのだろうか。そのためには、弁当も含めた昼食の多様性を可能にする、そんな条件を学校の中にできる限り備えることが必須だ。大学では、学生食堂は経営として採算がとれるらしい。」
 ところが、これを大学生に読んで感想を聞いた記録が『学校のモノと境界』(NAN工房 2001年)にのっています。簡単に言えば、給食にたいする否定的なこの筆者の意見に反対の意見がかなりあったようなのです。これはどうしてなのでしょうか。ここに私は「近代学校」の強固な生成原理をみるものです。
 ネットで給食と打ち込んで調べてみると、学校給食についての思い入れの大きさにびっくりします。
http://www.nikonet.or.jp/~kana55go/omoide2/mokuji.html
「給食の思い出」という上記のサイトには、たくさんの人たちの学校給食への懐かしさの感情があふれています。おそらく「学校の思い出」のなかでもっとも強力な思い出は「給食」ではないかと思われるほどです。中には、給食で出されたものを全部食べさせようという「指導」で悲しい思いをした体験も語られてはいます。
〈私は居残り組ではなかったのですが、いつも残って、ポロポロ涙を流してともだちが、給食を食べていたのが今も鮮明に覚えています。掃除の時間も休み時間も5時間目の授業が始まっても…。今だったら、考えられないことみたいです。我が家の子どもたちに聞きました。あっさり、「今は、そんなに無理じいはいないよ。」と言われました。〉 
http://www.nikonet.or.jp/~kana55go/omoide2/omoide45.html
しかし主流は
〈給食ってやつは学校生活の1大イベントでしたねえ。人気メニューの時は黒板にお代わりOKの時間を書き出したりしてました。特にカレーとか焼きそばのときはすごかった。
最初の食事は早く食べてお代わりに命かけてました(笑)あとパンとかを取っておいて帰り道に友達と食べたりとかしたっけ。〉
http://www.nikonet.or.jp/~kana55go/omoide2/omoide49.html
といったものです。
 しかし、この学校給食も生徒数の少ない地方では1980年代ころから、各学校での調理から給食センターでの調理配給がすすみ、1990年代にはこの傾向が都市部でも進行します。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B5%EB%BF%A9%A5%BB%A5%F3%A5%BF%A1%BC
 さらに、この給食センターが民間委託へと「民営化」の波が押し寄せてきます。
http://www.city.chiba.jp/education/edu/hotai/kyushoku/itaku.html
(学校給食センター調理業務の民間委託化について)
 上記の「弁当」の文にもありましたが、民間の会社でも給食業界への参入はもうからないわけではないようですから、
http://www.k-k-tokiwa.com/
(株式会社ときわ給食センター
学校給食の民間委託、給食配達の傾向は拡大していくでしょう。

 さて、この流れをたどってみると、給食の始まりは明治22年山形県鶴岡町私立忠愛小学校の貧困児童を対象にした給食にまでさかのぼるとしても、
http://www.nikonet.or.jp/~kana55go/rekisi/nirekisi.html
圧倒的多数は家庭からの「お弁当」だったわけです。「お弁当」は学校の中に存在を許された数少ない「家族」の領域だった、という指摘もあります。(『学校のモノと境界』)
 ところが、学校給食の普及は、家族が子どもたちのために「お弁当」をつくる手間を省き、学校が食事をとおいて子どもたちの中に浸透していくことになりました。その結果「残さず食べる」指導や、法律に基づいて「ミルク」を強制する、
http://d.hatena.ne.jp/kei-zu/20070617
(なぜ給食に牛乳が出るのか)
というような「学校化」の進行の昂進もあったわけでしょう。
 ところが、給食センターの拡がりと給食の民間委託は、いわば強固に築かれた「給食」=「学校」イメージに裂け目を入れることになってくるでしょう。「私が小学校の時、時に地元の有名なケーキやさんのケーキがでたのよ」「わー、いいなー、私はそれより前に卒業したから食べられなかった。残念」「あれは学校の調理員さんがケーキ屋さんと交渉して実現したんだって」このような姉妹の会話が学校給食の思い出となって長年蓄積していき、上述のような、強固な学校給食肯定層を形成したのでしょう。この層は学校というものに何の疑問を持たないで成長してきた子どもたちと重なっていましょう。学校給食は日本では「学校」の強力な味方だったのです。
 ところが、学校給食の「食堂」化のなかで、「学校」的なものから給食は離陸していくのではないでしょうか。
 ある学校給食の経営者が語っていたように、「食堂のおばちゃん」に生徒たちは先生には言わないであろう話をするのです。もはや民間人の経営する「学校食堂」には「学校」のにおいはしないのかもしれません。給食は「脱学校化」を始めているのでしょう。そう、いってみれば、「民営化」「規制緩和」は、近代の牙城たる「学校」の足下を揺るがし始めているのです。
 写真はhttp://www.town.aisho.shiga.jp/shashin/data/dw_12_01.htmlより