時計

時計台

 ときどき腕時計を忘れてしまうことがあります。でも職場や街には時計があふれていますから困ることはそれほどありません。腕時計を買ってもらったのはたしか高校生の頃だったでしょうか。とくに役に立ったという記憶はあまりないのですが、大人に近づいたかなー、という気分でした。この頃の高校生は腕時計などあまりしていないかもしれません。携帯電話がその代わりになるからでしょう。試験の時は教室にある掛け時計で間に合いますからね。腕時計をしている子は、時計の機能が必要というより、アクセサリーのひとつとして身に付けているのでしょう。
 腕時計を高校生が持つようになって遅刻が少なくなった、などというデータが『遅刻の誕生』(橋本毅彦・栗山茂久編著 2001)といった本にのっているかどうか知りませんが、たぶんそんな相関関係はないでしょう。家に時計があろうがなかろうが、本人が腕時計や携帯電話を持っていようがいまいが、遅刻とはおそらく無関係でしょう。
 学校に時計台とか時計塔が作られたのは授業時間を正確に刻み、始業終業を知らせるためだったのでしょうが、それ以上に「近代」はなによりも正確に測られた物理的時間によって、どこでもだれでもに通用する時間(国民の時間)というものを知らしめる効果があったのでしょう。とはいえ、学校が、学校の時計が、近代の時間意識を子どもたちに植え付けるのにおおいに役に立ったと言えるかどうか、これには疑問の余地があるでしょう。以下の引用は「雲は天才である」の書き出しです。ちょっと長いですが。

〈六月三十日、s─村尋常小学校の職員室では、今しも壁の掛時計が平常の如く極めて活気のない懶うげな悲鳴をあげて、──恐らく、此時計までが学校教師の単調なる生活に感化されたのであろう、──午後の三時を報じた。大方今は既四時に近いのであろうか。というのは、田舎の小学校にはよく有勝な奴で、自分が此学校に勤める様になって既に三ヶ月にもなるが未だ嘗て此時計がK停車場の大時計と正確に合って居た例がない、ということである。少なくとも三十分、或時の如きは一時間と二十三分も遅れて居ましたと、土曜日毎に該停車場から、程遠くもあらぬ郷里へ帰省する女教師が云った。これは、校長閣下自身の弁明によると、何分此校の生徒の大多数が農家の子弟であるので、時間の正確を守ろうとすれば、勢い始業時間迄に生徒の集りかねる恐れがあるから、という事であるが、実際は、勤勉なる此辺の農家の朝飯は普通の家庭に比して余程早い。然し同僚の誰一人、敢て此時計の怠慢に対して、職務柄にも似合わず何等匡正の手段を講ずるものはなかった。〉『啄木全集』第3巻所収「雲は天才である」(明治39年

 物理的時間(時計)を生活の都合に合わせて使う知恵は、「自分はぎりぎりで遅れる癖があるので時計は五分すすめています」などという使い方に似ています。学校がこういう「おおらかさ」の中にあったのだとすれば、人々を近代的時間に巻き込んでいったのは、むしろ鉄道とか会社などの時間厳守のほうかもしれません。定時制高校の生徒で、よく遅刻する子でも、仕事には遅れることなく行っている、という例も珍しくはありません。
 私などが高校生の頃、もちろん先生は遅刻するな、と言っていたのでしょうが、「遅刻は基本的生活習慣の乱れだ、遅刻する子は成績が悪い、などとは言っていなかったし、遅刻をしたからといって、引け目を感じていたことはなかったように覚えています。それは今の高校の生活指導とはちがいます。
http://www.osaka-c.ed.jp/yuhigaoka/gakkoutusin/yuhigaokatusin-1.pdf
(遅刻をなくして活力ある学校生活を)
多くの高校では、校門に先生が立って、遅刻チェックをして遅刻を減らそうとします。しかし、校門当番などで遅刻が減っているかどうか、怪しいところです。
http://www.yatsuo-h.tym.ed.jp/17sougouhyouka.pdf
平成17年度 学校総合評価(八尾高校
http://www.naha-h.open.ed.jp/yakusin/kaijirei/top.htm
県立那覇高校
 大学の先生あたりも昔は、Akademisches Viertel(アカデーミッシェス・フィアテル)とかいって、講義は15分おくれが当然、という風潮があったわけですから、「学校」が近代の物理的時間強制の元締めだったと断定するわけにはいかないように思います。
http://ameblo.jp/kyojudono/theme-10003062403.html

 1990年におきた兵庫県立神戸高塚高校の校門圧死事件は、遅刻指導の中で起きたのでした。これを起こした教諭が書いた本の題名は(中味は読んでいないので知りませんが「校門を押し、生徒を死に至らしめた元教諭は、……体罰を正当化し、校則を守らせることが教師の務めであるかのように受け取れる内容」と批判されています。)『校門の時計だけが知っている』(1993年 思草社)というものです。
http://www10.plala.or.jp/takatuka/kanren.html
 これが、物理的時間を刻む「時計」に依拠して正当化するというものであるとするなら、学校教員にとって「時計」は断じてアクセサリーではないのです。裁判では学校の遅刻指導の安全管理上の過失が指摘されましたが、「管理教育」や「遅刻指導」が問題になったわけではないのです。ですから、現在、1990年代のアメリカで言い出された「ゼロ・トレランス」という厳しい生徒指導方針にならい、文部科学省もこのアメリカの厳罰方式の導入をうかがっています。
http://211.120.54.153/a_menu/shotou/seitoshidou/magazine/06062901.htm
文部科学省初等中等教育局児童生徒課 『生徒指導メールマガジン』 第16号
 「時計」が、物理的時間が再度活性化しつつあるのでしょうか。その一方で、この物理的時間機械としての「時計」の管理対象である子どもたちは、時計をアクセサリーと心得、携帯電話によって、正確な時間の待ち合わせなどを不要としています。教室の中だろうが、劇場だろうが、仲間内で共有する時間、自らの生活時間に合わせて物理的時間の方を改造する、そういう私的時計の所有度を高めていましょう。
 もしかしたら、学校はこの「私的時計」と近代の時間管理との狭間で、「なんとかやってきた」術を持っているのかもしれないのです。
 韓国のドラマ『冬のソナタ』に遅刻指導する先生と、それを逃れて学校の塀を越える主人公たちの姿や、その恐い先生と、卒業していった生徒たちの再開の場面がでてきます。学校物語の典型のような場面ですが、実は遅刻指導というのは生徒たちの「私的時間」とのつきあいなのではないでしょうか。学校協議会で産業界の人が出席し、「学校の時間を産業界の時間にもっと合わせてくれ」と要請したりするのをネットで見かけたりします。「雲は天才である」に登場する校長なら、どんなふうにのらくらと対応するのでしょうか。こういう校長は今やどこにもいないのでしょうが、この「私的時計」とうまくやっていくことは、消えてしまったわけではないだろうと思います。
 保育所では「さあ、みんな、お昼寝のじかんよー」と大きな声でみんなに呼びかけるのではなく、いわば一人一人に「そろそろ眠くなったかな? お昼寝しようね」と声をかける方式になっているということです。勿論、保育所のみならず小学校でもチャイムをできるだけ使わないところが出てきたりしています。これはいわば「私的時計」と物理的時計との「調整」の努力でもあるわけでしょう。