家庭訪問

我が心のオルガン


 50年近くまえ、私が小学生だった頃、新学期が始まってからしばらくして、担任の先生が「家庭訪問」にやってきました。新学期に子どもたちの家庭環境を知るために、日本では家庭訪問が恒例の行事になっていました。いまでも多くの小学校では家庭訪問があるだろうと思います。日本でいつからこういう家庭訪問という慣例がはじまったのでしょうか。国家の代理人たる学校の側から各家庭に足を運んで、というのはどうも日本の国家主義的教育の成立からは考えにくいのですが、どうでしょうか。子どもだけでなくその子どもを通して「国民」を育成するというのなら、わざわざ家庭の事情まで斟酌するはずはないでしょう。
 これは半ば想像ですが、家庭訪問というのは、戦前の生活綴方教育などの民間教育運動の中で現場の教師たちが、貧困の中であえぎながら学校に通ってくる子どもたちとその家族たちに直面する中で生まれてきたのではないでしょうか。それを戦後民主教育が引き継いできたのだろうと想像しています。ご存知の方に教えて欲しいと思っています。
http://gipvodn1.shinshu-u.ac.jp/el/e04b1/class09/seikatutsudurikata.htm
(生活綴方教育 中内敏夫(平凡社「大百科事典」))

〈各府県の学務課長や視学を中央に呼んで、思想善導または思想調査の講習会を開き、それを持ち帰って全県下の校長教頭を集めて伝達講習会を開きました。思想傾向の悪い教師を見つけ出す方法を授かってきた一つに「西瓜戦術」というのがあり、「外は青いが中が赤い」いう意味で、次のような教師は特に思想傾向に注意せよというのです。
(1)子供の教育に熱心で本気でとっくんでいる教師
(2)父兄から支持され、家庭訪問などをよくやる熱心な教師
(3)同僚との付き合いが良く、研究交流などに骨折っている教師
(4)若い女の先生などに親切な教師〉
「戦前の小学校教育」池田正太郎
http://hojin.notredame.ac.jp/kikanshi/prism/02/02pdf/_05.pd

 これも調べないとわからないのですが、この「家庭訪問」というのはほぼ学校の公式行事のように小学校で実施されているような国は少ないのではないでしょうか。韓国映画「我が心のオルガン」(1999年 監督 イ・ヨンジェ 出演イ・ビョンホン チョン・ドヨン)は1960年代の江原道の山里の小学校の日常を丹念にとらえている映画でしたが、学校に来なくなった17歳の小学生ユン・ホンヨン(チョン・ドヨン)の貧しい家に、若い教師カン・スハ(イ・ビョンホン)が訪ねていく場面はありますが、これは特例で、日常的に生徒たちの家に教師が訪問する、ということではないようでした。現在でもなさそうなんですが・・・・・
http://plaza.rakuten.co.jp/aotsuji/diary/200411040000/
韓国から日本に来ている人に確認しましたら、「先生様」が家にわざわざくることはない、とのことでした。

 アメリカなんかは、もちろんありそうもないです。

〈家庭訪問なんて制度アメリカにはないですし、何よりもプライバシーを盾に、他人の介入を拒むのでいくら熱心な先生がなんとか子どもの生活をと思っても、手が出せないんですよね〉
http://www.sweetnet.com/peacepeace/kininaruki.php?n=881

 まあ二宮皓編著『世界の学校----教育制度から日常の学校風景まで----』(学事出版 2006)といった本で勉強しないとわかりませんね。これもご存知の方に教えてもらえると、2,625円浮くんですが。
 ところで、現在進行形の「家庭訪問」なんですが、アメリカの影響でしょうか、先生はだんだん家庭の中に入り込んで、お茶やお菓子をご馳走になり、ゆっくり親御さんたちとお話して、という状況ではなくなりつつあるようです。まず、お茶などの接待(?)は「お断り」とか、玄関で話して帰るとか、はては家庭訪問を行事としてはやめてしまった小学校とか、ネットで検索してみると、この恒例行事が大きく変容しつつある様子がわかります。
http://blog.goo.ne.jp/kc6802/c/0626e2282e716cad213de04080b3af31
https://msg.kumanichi.com/cgi-bin/bbs/watashi053/bbs.cgi
 先生も学校でパソコン的事務が多くなって、それに熟達しないといけないし、家庭訪問どころではないのでしょうし、生徒の家に行って「饗応」(?)を受けるのは「教育公務員」としてどうなの、などという意見があったりもすれば、この先生バッシングの風潮の中では「やってられないよ」ということになりかねませんよね。
 学級懇談会は保護者のほうが学校に出向いて子どもの話を教師から聞いたり、なにか子どもが悪さでもしたら、学校の先生に呼びつけられる。これは大昔からあるでしょうが、昨今では「保護者」が学校のほうに出向いて、教育内容や子どもへの教師の働きかけにクレームをつけに来たり、「地域住民」や「市民」が学校の教育方針に文句をつけにきたすることも多くなっていましょう。
http://news.livedoor.com/article/detail/2511087/
 いわば、ベクトルが逆転しつつあるのではないでしょうか。「学校(教師)→家庭・地域」から「学校(教師)←家庭・地域」という動向が看取されないでしょうか。「開かれた」学校という点では、実は前者も後者も同じなのですが、現在「開かれた学校」という時のイメージは文部科学省教育委員会それに学校までが、後者のイメージで使っていましょう。「家庭・地域」がいだく学校イメージはマスコミに大きく依存しています。言い換えれば「家庭・地域」=「マスコミ」=「社会」という等式が成立するとすれば、今や学校は「社会」のなかで、その明確な輪郭やアイデンティティーを失いつつある過程に(その初期段階かもしれませんが)あるのではないでしょうか。
 こういう社会現象を「逆ディスクーリング社会」と言っている人もいます。
http://nanbook.com/recent.php#1

☆ 写真は「我が心のオルガン」より
http://heavysweetheaven.web.fc2.com/organ.html