印刷機

deschoolman2007-06-22


 新聞の折り込み広告を丹念に見ている人がいるでしょうかね。ものすごい分量ですよね。私などは、たいていはセットになったまま古紙回収のほうへ回してしまいます。買い物をしなければならない時には、近くのスーパーのチラシを見たりはしますが。
 学生時代に、このチラシの一面しか印刷していないのを集めてきて、計算用紙とかに使った記憶はあります。それも印刷技術が向上してきて両面刷りになると、使えなくなりました。
 現在の学校には、リコーとかリソウの孔版印刷機が入っていて、大量のプリントを短時間で印刷できますから、生徒たちに配布される教科のプリントや連絡用プリントは膨大な数になっています。これらのプリントに目を通したり、整理するだけで結構大変なのではないでしょうか。放課後の教室には配布したプリントが散らかっていることがあります。忘れたのか、遺棄したのか。生徒のなかには、かばんの中に雑然とプリントを押し込んでいる子もいます。
 昔は、高性能の孔版印刷機はありませんで、ガリ版というのが教師のプリント作成の道具でした。このガリ版は、1894年に堀井新治郎親子が開発し、またたく間に全国に普及たもので、小学校か中学校の頃でしたか、私も鉄筆でガリガリと先生の学級通信作成のお手伝いをしたように思います。その改良型の謄写輪転機というのもけっこう長いこと使われていました。1970年代は謄写輪転機が主流で、ガリ版アジビラ作成などで活躍していたと思います。30年くらい前でしょうか、鉄筆ではなくてボールペンで製版する方式と「ファックス原紙」に紙に書いた原稿をうつして製版し、それを印刷にかける方式(これは大変くさい)とが前後して学校の登場してきたと思います。そのあとに製版と印刷を一体化した孔版印刷機が登場してきたと思います。この一体型の孔版印刷機の発明は1984年でしょうか。
http://www.ricoh.co.jp/koko/satelio/01/2.html
 たぶん、1980年代後半から、学校の生徒はプリントの山を抱えて登下校するようになりました。学級通信やら文集やらもたくさんのプリントの中の一枚、一冊になっていきます。教科の勉強もいわゆる「プリント学習」が大きな比重を占めるようになりましょう。このことは、たとえば先生が読む教科書を、後について暗唱するとか、先生が話していることを書き留めるには「石版」しかない時代と比べてみると、学習が「聴くこと」から「読むこと」「書くこと」に大きく変わっていったと言えるのではないでしょうか。「聴くこと」はその時、瞬時に精神を集中して聴いていなければ、聴き逃してしまいます。また聴いたことを理解できなければ覚えておくことは困難です。しかし黒板の字はすぐには消えません。それをノートに写して家にもって帰ればいつでも参照できます。プリントには先生の話がわかりやすく書いてあったりしますから、いま、ここで先生の話に集中しなくても、あとで学習すれば、テストに合格できるかもしれません。
 「聴く授業」から「読み書きの授業」へという移行は、大量印刷技術に裏付けられなければ成立しなかったでしょう。さらに「教える者」から「学習支援者」への教師の役割変換も、この大量印刷技術なしでは不可能な発想だったでしょう。
 昔、ガリ版技術は、生活綴方教育運動をはじめとする民間教育運動ばかりか、民衆運動を支えてきた技術でした。
http://www.shinjuku-shobo.co.jp/new5-15/koramu/shimura.html
(志村 章子『ガリ版文化史』その後)
いま、この「発展形態」は、どのように副作用を伴ってきているのでしょうか。
「聴く」技術は、大量印刷技術の発達のなかでますます衰えていくのではないだろうかと恐れるのです。

☆写真はhttp://www.chuo-printing.co.jp/gariban/kusama/kusama7.htmlより
謄写印刷文化展チラシ(昭和23年)草間京平の謄写印刷作品