連絡帳

連絡帳

 保育所や幼稚園、それに小学校に子どもを通わせている親たち、そして先生たちが毎日書いてきた文書が「連絡帳」です。子どもが大きくなるとその連絡帳もどこかへ行ってしまって残っていないのが通例でしょう。考えてみれば「連絡帳」ほど学校や家庭での子どもたちの姿を忠実に記録したものはないでしょう。子ども一人ひとり違っているわけです。しかも連絡帳はたぶん長い歴史を持っているハズです。戦前からあったのでしょうか。確認できないのでどなたかご存知の方は教えて欲しいのですが、戦後民主教育の中で「連絡帳」が活躍したことは確かなことです。(たとえば『民主教育実践史 』海老原治善)
 この「連絡帳」の歴史的変遷をもし調べられたら、学校の「昔」と「今」の物語が明確に浮かび上がってくるのではないかと夢想しています。ところが、いまや個人情報保護云々でありますから、個人情報満載の連絡帳など参照できません。そればかりか、保育所の保育士たちは、記録に残ることもあって、なんでも書くということが必ずしもできないわけです。そうかといって必要なことはちゃんと書かないと何の役にも立ちません。

http://www.nippo.or.jp/cyosa/12_04/04_ta.htm
(「保育所における家庭保護者との連繋に関する調査研究報告書」平成12年度 社会福祉法人 日本保育協会
とりわけ
http://www.nippo.or.jp/cyosa/12_04/04_03_54.htm
(5.宮里勝子研究員による考察)
 連絡帳の記述例
http://homepage3.nifty.com/moomoo/fm/F_FM4_RENRAKUCHO.htm
(楽しい連絡帳)

 小学校でも市販の「連絡帳」があるくらいですから、家庭と保護者の間でのやり取りは習慣化していましょう。中学校ではどうなのでしょうか? 保育所でも連絡帳などない、というところもあるし、塾でも綿密な連絡帳で家庭での学習をきっちり要求するところもあり、様々なのでわかりませんが、中学校ではおおむね個別の連絡帳はあまりないのではないでしょうか。下記のさいたま市の小学校と中学校に新しく先生になった人向けの初任者研修テキストは200頁にもおよぶ膨大なもので、そこには連絡帳をしっかり書くように要求していますから、ここでは中学校でも連絡帳を使っているのかもしれません。
http://saitama-city.ed.jp/04kanko/siryo/17nendo/kyousitosite.pdf
(「平成18年度初任者研修テキスト 教師としての基礎・基本」)

 いまや連絡帳は携帯からネット掲示板、メール配信に取って代わっている所もあります。欠席した子どもには電話以外には連絡方法はないですからこの電子連絡帳というのは、緊急連絡網としても広がってくるかもしれません。
http://hanamaru.enji.info/keisai05.htm
(はなまる連絡帳 朝日新聞2005年12月14日)

 連絡帳に書かれることはいうまでもなく「書きことば」です。子どもが今日、保育所で午睡をどれくらいとったか、給食は残したのか、排便はどうだったか、といったような事項は誤解の生まれようはありません。しかし子どもの様子ということになると、家庭でも父が書くのと母が書くのとでも違い、保育士によっても観点が違ってきますし、子どもも4歳児などにもなれば、状況や相手によって「ふるまい」を使い分けましょう。
 若い男の保育士さんがネット上で書いていたことですが、今まではいはいしていた子どもが始めて立って歩けるようになったことを、連絡帳に自分は書かない、なぜならそういう感動的なことは、親に体験してもらいたいからだ、と。でもベテランの保育士さんは一日6時間とか8時間とか子どもとつきあっていると、そういううれしいことを「連絡帳」には書かないとしても、迎えに来た保護者に話して一緒に喜びたい、と言います。書かれた記録に残されているのは、保育所や学校という場で起きているすべてではありません。家庭や保育所・学校での子どもたちの生活の「切り取り方」であり、家庭と保育所・学校との関係の表象であるでしょう。そこで私たちが読み取れるのは、「実態」というより家庭・保育所・学校を人びとがどのようにイメージしてきたのか、その関係をどのように考えてきたのか、ということだろうと思います。無数の物語の「語り方」が「連絡帳」にはこもっているハズなのですが、これらをどうして参照できるのか難しいです。昔のはとっくに散逸しているでしょうし、今現在使われている「連絡帳」は「個人情報」の塊でしょうから。
 ということは、私たちが普遍の物語を語ろうとすれば、その「語りうること」は、ほんのわずかな部分でしかないのかもしれません。そういう意味での「学校今昔物語」ではないとしても、歴史の中で忘れられていく無数の「断片」の拾い集めは容易なことではないようです。