「父兄」「地域」

岡崎酒造in高校生


 学校や社会に流通するコトバが変身したり、別のコトバになったりということがよくあります。その変容をたどっていくと、あるいは明日の学校社会のコトバが見えてくるかもしれません。
 たとえば団塊の世代に属する私などが生徒だった時代には「父兄参観」「父兄会」という言葉をよく耳にしたものですが、いつのまにか「父兄」は使われなくなり「父母」から「保護者」という風に変わってきました。放送では「父兄」という言葉は使わないそうです。
http://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/kotoba_qq_98100103.html
 林子平に「父兄訓」という著書があるそうですから「父兄」は家父長制度の名残ということでしょうか。女性差別だということでしょうが、中国では保護者といわずに「家長」というそうですが、これは必ずしも女性を保護者から除外したのではなくて「父親と母親と両方とも「家長」なのである。したがって、PTAには、父親母親を問わず積極的に参加する。」のだそうです。
http://www1.tcue.ac.jp/home1/c-gakkai/kikanshi/ronbun5-4/yang.pdf
 父兄という言葉を文部省は昭和39年度の白書「わが国の教育水準」まで使っています。昭和46年版の厚生白書でも使っています。学校現場では、1960年代には一般的に「保護者」という言葉を使うようになったようですが、父兄という言葉はみんな死語になったのではなくて、「社団法人全国自衛隊父兄会」とかありますし、一部の大学ではまだ「父兄懇談会」といっています。
 「保母」という名称は、1999年4月から法改正に基づいて「保育士」と変更されたわけですが、
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000963014/
どうもしっくり来ないです。男性が保育の職業を選べるようになったのはいいですが、「母」というイメージを男が持っていてもいいじゃないかと思ったりもしますが、これは脱線。
 私らの年代の者が若者だったときは(まあ田舎に住んでいたという限定が必要でしょうが)「地域」は早くそこから抜け出すべき「半封建的」な領域でした。ところが1970年代に教員になってみると、「地域」とは被差別部落を中心とした地区をさし、そこに残っている前近代の遺産を受け継ぎ、近代学校のもっている差別性をそれによって乗り越えるべき準拠枠の役割が割りあてられたりしていました。鈴木祥蔵編『地域からの教育改革』は1985年の刊行ですが、そのころまで「地域」といえば「先進的教師」にとって部落でありました。今でもたとえば、「三重県同和教育基本方針」を引用しますと、地域とは被差別部落のことをさしています。

(2)家庭や地域社会の生活の実態を総合的に把握し、教育課題を明らかにする。
ア 家庭訪問等を通じて保護者や地域住民との対話に努め、子どもの生活の背景となる家庭や地域社会の実態を的確に把握する。
イ 同和問題同和教育に関する地域の意識の実態把握に努め、教育課題を明らかにする。
http://www.pref.mie.jp/DOKYOUI/plan/douwa/p02.htm

 「地域改善対策特別措置法」の地域もそうです。こういうことばの意図的あいまい使用はどう考えるべきなのでしょうか。

 さて、時代は変わりまして、文部科学省は先頃「平成19年度現代的教育ニーズ取組支援プログラム選定結果」を発表しています。ここには「1「地域活性化への貢献(地元型)」2「地域活性化への貢献(広域型)」などのカテゴリがあってたくさんの大学が研究をすることになっています。ここにおける「地域」はもちろん被差別部落の活性化ではありません。そうではなくて教育の場(大学など)から一般的な意味での地元に働きかけるプログラムです。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/19/07/07072005.htm
 文部科学省は学校を中心として、解体したあるいはできていない「地域」を生成させたい、という思いがあるのかもしれません。小中一貫校などの「コミュニティ・スクール」の推進などに文部省の「地域」再生の場所としての学校というイメージがあるようにも思います。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/community/06030203/003/006.htm
(コミュニティ・スクール推進フォーラムにおける実践発表資料(津市立南が丘小学校))
 学校は、歴史的にみれば、国家によって村落共同体から「個人」を「自立」させるべくある意味では「地域」の流れとは反対のベクトルを持ってきましたが、同時に地域の協力なしには近代学校は実現できなかったわけですから、文部省による「地域」主唱は割り引いて考えなければなりません。
 とはいえ、地域がほぼ解体している現在、市民運動NPO活動の中で「市民」を形成しようという運動が「地域」に定着して活動を続けていたり、
http://www.systemken.org/index.html
あるいは、大学生たちが大学のある地域の活性化に学生たちをつなげる運動を展開したり、
http://yanagi.from.tv/yanagi//
といった、新しい「地域」の創設の試みなどは官製や学校製ではない動きではあります。それらを「学校」の側がどのように受け止められるのか、という問題領域があるだろうと思います。


写真はhttp://yanagi.from.tv/yanagi//eventkeina_ueda.phpより