未来を捨てた学問

ポール・リクール『記憶・歴史・忘却』


 教育学や歴史学あるいは社会学が今日の学校について考察するとき、それが「学問」であることからくる決定的欠落がつねにつきまとっています。「学問」である以上、そこで述べられることには「証拠」がなければならない。そして「証拠」とは過去にあったこと、過去に言われたこと、過去にあった出来事を科学的に検証する、という枠のなかで見つけます。書かれた記録、統計、聞き書きなど、現在により近い根拠であっても、それは確定した「過去」もしくは現在を含む「過去」以外ではありません。もしそのなかに、確定していない未来が含まれていたら、それだけでその議論は「証拠なし」と断罪されましょう。したがって、おのずと「学問的」な仕事は過去の検証もしくは現在につらなる過去の検討に限定されてきます。そこには当然、現在に生きる論者の問題意識はありましょうし、未来へと差し向けられた示唆はありましょう。しかしながら「未来」は社会科学の「外」にいつでも追いやられ、つぶやきにしか出現しなくなります。
 学校の現在について、人はその過去の姿を現在の状況と照らし合わせて検討しますが、これから先、学校はどうなっていくのかの未来予測には、無責任と非科学的の非難が待ちかまえています。もっとも素人談義として「学問的」批判の対象にもなりえないでしょうが。
 しかしながら、学校の明日は、未来予測ではないのです。現にいま学校がどうなっているかの補助線を引いてみれば、それが未来の学校なのです。理想の学校像という意味ではありません。いや、すでに過去の学校として検証してきてもいる「学校」のなかに、学校の明日が含まれているかもしれません。しかし、「学的」態度は、明確に認識できる、確認できることしか認めようとしません。歴史学がその最たるものでしょう。
 フーコーの仕事にしても、ネグリやハートの『〈帝国〉』にしても、現在に孕まれている未来を探ろうとしたのです。ですが「学問」はいつでもその「未来性」を攻撃してやまないのです。フーコーの規律社会から管理社会へという考察は「過去」の考察のように振るまいながら、実は現在に孕まれている未来に向けられた分析でした。アメリカは帝国主義であって〈帝国〉などではない、という批判は〈帝国〉が現在に孕まれた未来だという事に気がついていません。
 偉大な思想家たちは「過去」と「現在」にのみ捕らわれた学者ではありませんでした。しかし「近代」の学問はそれが「制度」となるなかで「未来」を忘れていったのでしょうか。
 学校現場からは「もう疲れた」「はやくやめたい」「どうにもならない」というあきらめの声が聞こえてきます。早期退職の教員や若い教員の退職も多くなっていると聞きます。「昔は学校にも夢や希望があったのに、今は……」という基調の話は何の役にも立ちません。
 経験が継承されず、かつての実践が忘れられる悔しさを乗り越えて、私たちは今日の学校が、どこへ向かっているのか、それはどのように軌道修正可能なのか、そういうことを考えていかないといけないのだろうと思います。この雑文は、以上のような自己注釈がないと誤解されるだろうと思いますので、これは「学校今昔物語」の自己レスでもあります。
 読み返してみれば、『今昔物語集』で語られているのは「今」は「昔」となった「過去」ではありますが、今から読めば、その物語にはその後の歴史展開が孕まれいたではありませんか。

 下記の引用はポール・リクール『記憶・歴史・忘却』下巻(2000年 邦訳 2005年 久米博訳 新曜社 100頁)からです。この雑文を書くヒントになりましたので引用しておきます。

〈たしかに、記憶力の現象学と歴史の認識論が、未来を捨象しても、純粋に回顧的な態度でおのずと理解される、という疑似的明証性に、知らず知らずに立脚しているのは、驚くべきことである。記憶が好んで、というよりもっぱら過去を対象とすることは当然である。私がくりかえしてやまないアリストテレスの定式「記憶は過去についてである」は、それが断定することに意味と力を与えるのに、未来を喚起する必要はないのである。……しかし未来は、この過去の定式表現では、いわば括弧に入れられている。……しかし未来の一時的消滅に方法論的に関係するのは、とりわけ歴史学である。それゆえにこの先で、未来性を歴史的過去の把握のなかに包含することについて論じるようになるが、それは歴史的認識の明瞭に回顧的な指向とはまったく反対の斜面に向かうことになる。〉