木造校舎

deschoolman2007-06-16

 木造校舎の写真集がいくつか発行されています。雑誌『KURA』(カントリープレス)の4月号の特集が「信州の郷愁を誘う風景 木造校舎の桜」でした。長野県下の木造の小学校校舎を6校とり上げていました。現役の小学校、陶芸家の工房兼ギャラリーとして余生を送っている校舎、教育特区学校法人として小中一貫教育の学校や私立の通信制高校として再利用されているところなどが紹介されていました。題名のようにここには木造校舎とともに桜の大樹が写真に収められています。学校に桜が多く植えられていた時代があったのでしょう。桜は近代学校の表象のように学校経験とともに生きてきたようです。
 ひとつの時代を生きてきた「もの」が、その時代が失われようとするとき、人々は写真にとって、それが生きていた時代を残そうとします。そうではあってもすべての失われゆく「もの」が写真として残されてきたわけではありません。円筒状の赤い郵便ポストは時々写真に残されていますが、真黒い電話機が被写体になっている写真を見ることはまれです。だとすれば「木造校舎」が郷愁とともに写真の中に映されていくのは、ひとつの時代の終わりの徴候なのかもしれません。
 いま「学校」として私たちが呼び習わしている施設や、そこでの営みが、100年、 50年前と同じだという前提で考えることはできないのかもしれません。20年前、5年前の「学校」ですら、いまの「学校」とは別物なのかもしれません。大枠の制度としての学校は、100年前とそれほど変わっていないとしても。
 それでは、「学校」という名前の現象が昔と今とではどのように変わってきたり、変わらなかったりするのでしょうか。昔の思い出話や、現在の新聞記事、うわさ話や子どもたちの会話に耳を傾けて、「学校今昔物語集」メモを作っていこうと思います。