近代文学作品と〈学校〉

(5)丑松の教室

1 学校批判小説としての『破戒』 島崎藤村は1906(明治39)年『破戒』を自費出版します。藤村34歳のときです。28歳の時に小諸義塾の教師となった藤村は、北国の人びとの生活をつぶさに観察し始めます。後に『千曲川のスケッチ』(1912)となる観察は『…

(4)消える教室

日露戦争のさなか、「遼陽の占領」の「万歳! 日本帝国万歳」の提灯行列の声を聞きながら、林清三(『田舎教師』の主人公の小学校教師)は肺病で死んでいきますが、物語は、彼の教え子で師範学校に行って教員になった女性が彼の墓の前で泣いているというとこ…

(3)〈地〉化する〈学校〉

何十年も小説を読まなくなっていた「特性」を「生かして」、昔の小説と、最近の小説を交互に読んでいます。たぶん何万分の1くらいしか読んでいないので、印象と独断の仮説の連続になるだろうと思いますが、今時の小説になれてしまう前にメモしておくことに…

(2)モノが薄れる

本を読むということは、「モデル作者」と「語り手」と「モデル読者」が互いに相手を作り上げることなのだ、とウンベルト・エーコは言っています。たとえば「私」という語り手が、語りはじめたとして、読者は、その物語の成り行きを傍観しているのではなく、…

(1)地名が薄れる

おびただしい数の文学作品の中で、学校や生徒や教室、教員はどのように描かれてきただろうか。小説などで描かれた〈学校〉像をつなげていけば、描かれた学校史というか、イメージの中の学校史ができるのではないか。これは伝統的な教育史による学校史とどの…